地元暮らしをちょっぴり楽しくするようなオリジナル情報なら、富山の地域情報サイト「まいぷれ」!
文字サイズ文字を小さくする文字を大きくする

メニュー

富山の地域情報サイト「まいぷれ」

花田真寿美のヘルシー美活日記

私の角刈り!! 熱血アスリート時代について

花田真寿美のヘルシー美活日記 vol.1

初めまして、花田真寿美です。
まいぷれ富山さんにコーナーを作って頂けて、とても嬉しいです。
これから、よろしくお願い致します(*^▽^*)
さて今回は、私の角刈り!熱血アスリート時代の話や現在のアスリートビューティーアドバイザーとはどんなことをするのか?ということをお話したいなと思います。

アスリートビューティーアドバイザーというのは・・・
現役アスリートや元アスリートを外見・内面的に美しくするお仕事です。
アスリートは、目標に向かい直向きに突き進み汗を流す。
その姿は既に美しく、尊いと感じています。
けれど、今やアスリートも外見が注目される要素になったこの時代。
外見も共に磨くことで選手が更に注目され、その競技の活性化にも繋がる。

セカンドキャリアを考える時、内面外見的にも自信があれば、選択肢も、そして選択をする姿勢も変わってくると思います。
「スポーツしかしてこなかったから。」
「スポーツを取れば何もない。」...そんな言葉をなくしたい。


私が元バドミントンアスリートだったこと、モデルの仕事やミスコンテストなどを経験してきたことが役に立てるのではと思って、アスリートビューティーアドバイザーという仕事を始めました。

私自身、高校時代は「美しくなる」とか「お洒落」とは無縁の世界にいて、ヨネックスのジャージがあればどこでも行けるような子でした。
角刈りニキビで、通りすがりの見ず知らずの男子高生に「キモッ」と言われる程です。
中学生の頃は、髪の毛を伸ばしたりちょっとしたお化粧も好きだったので、「人は見た目でこんなに態度を変えるんだ」と身をもって知りました。
その経験があるから「もっと綺麗になりたい!コンプレックスを克服したい!!」という思いが強くなったのだと思います。

今でも、友人に高校時代の写真を見せると「整形疑惑が出るから、まだ出さない方がいいよ!」と言われます(笑)。
でも、このコーナーでは出していこうかなとも考えています・・・!!

高校を卒業して大学へ進学したとき、「いざお洒落が出来る♪お化粧が出来る♪♪」となったはいいけれど、どうしたらいいのか分からなかった。
メイクもファッションも試行錯誤。
おまけにニキビ面。
明るい所には行きたくないと思い、真っ暗な部屋でメイクをしていました。
けれど、「モデルになる」ということを経験していく中で、私は自信と行動力が付き、どんどん人生が楽しく変わっていきました。

10年前の私のように、今の自分に自信が持てない人たちに、ほんの少しの意識と積み重ねでなりたい自分になっていけるということを届けられるようになりたいと思っています。

では、実際にわたしはどんなアスリート生活を送っていたか・・・。

私は、小学3年生から大学までずっとバドミントンをしていました。
「もっと強くなりたい。自分の可能性を信じたい」という一心で全国優勝を何度もしている高岡西高校というバドミントン強豪校へ進学。
オグシオコンビで有名な小倉さんも練習に来てくださったり、リオ五輪で金メダルを取った高橋・松友ペアの仙台の母校へも練習試合に行かせてもらっていました。
親元を離れ、全国優勝するような同期メンバー5人と韓国人女性コーチと共に6人生活が始まりました。
洗濯も掃除も食事も自分たちで、当番制でした。
文武両道という進学校で、宿題も多く、授業を真剣に聞きたいけれど体力が残っておらず、白眼になって授業中はフラッフラでした。
赤点を取った分、体育館うさぎ跳び一往復がついてきます。
最高、何往復したかはここでは言えません(笑)。
冒頭の角刈りヘアですが、バドミントン部は角刈りヘアが代々伝えられてきていたので先輩達も、もちろん角刈りでした。
「髪型なんて関係ない!」と入学してからも中途半端に髪を切っていたら、何度もキャプテンに呼び出されました。
涙を流しながら髪の毛を切った時は「ここまで来たら絶対日本一になろう」と強く思いました。
部活は元旦のみ、1日しか休みがなかった記憶があります。

バドミントンは、常に動き続けるスポーツで運動量が非常に多いです。
体育館に風が入るとシャトルがコントロールしにくいため、窓やカーテンは締め切り。
夏の体育館温度は、40度を超えます。
それに加え、夏のインターハイ対策として、ジェットストーブを2台、小さいストーブを2台。
そのストーブの上に、やかんでお湯を沸かし湿度を上げる。
サウナスーツを着て、ストーブの前でサーキットトレーニング。
トレーニングでは、私はよく生まれたての子鹿になっていました(^_^;)
今やれと言われても出来ないです・・・。

ウエイトトレーニングでは、100キロのダンベルスクワット。
女子高生が、ですよ(笑)


私は、筋肉がつきにくくスマッシュの速度を更に上げるためにも、コーチには太るように言われていました。
その結果、食事時間はストップウォッチで時間を測られていました。
ゆっくり食べるとよく噛み、満腹になり痩せやすいと言われている反対の目的ですね。
10分以内に食べていました。
朝と晩、どんぶりご飯と納豆がきつかったです。
下宿メンバーも食事中は涙目になっていたり、食べている途中に寝落ちする光景は、今でも忘れられません(笑)。

そんな日々を乗り越えられたのは「団体で日本一」という目標があったからです。
高校最後のインターハイ団体は、優勝出来ず。
エースの2人が、「この悔しさを晴らすために必ず優勝するから!」と言って個人ダブルスで全国優勝をしてくれました。
鳥肌と感動の涙の体験を2人からもらいました。

私自身はというと・・・
結果を出せず、中々レギュラーにもなれず。

同期メンバーは海外遠征へ行ったり、表彰式へ出たりしている。
私は悔しさや惨めさ、恥ずかしさ、せっかく応援してくれている家族への申し訳なさでいっぱいでした。
大学でも、バドミントンを続けレギュラーになり、インカレ出場や愛知県新人ダブルス2位という結果を出す事が出来たのですが、バーンアウト(燃え尽き症候群)となってしまいました。

「努力は報われない。」
そんなことを思うようになっていました。
体育館に入ろうとすると勝手に涙が出てくる。
ラケットを触ることも出来ない。
負けても悔しいと思えない。
がんばってレギュラーになろうとしている選手を見ても「無駄なのに」...。

そんな風に思ってしまう自分が嫌で、それからはバドミントンをしなくなりました。
自分では想像していなかった展開でアスリート時代の幕は閉じたわけですが、私はバドミントンを通して、目標に向かって成長する楽しさを知っていたので、「もう一度あんなに夢中になれる目標に出会いたいな」とずっと思っていたことを覚えています。

その後に、私はミスユニバースという存在に出会うことになります。
次回は、アスリートからモデルの世界へ転身した時のお話をしようと思います。
読んでくださってありがとうございました!


花田真寿美